結城までポタリングした帰り、水戸線で中久喜城近くで目を凝らしてどうなっているか見ていたのだが、ふと小さな踏切があることに気づいた。あれ、この道はどこにつながるのだろうかと。そしてそれを確かめるべく現地へ行ってみた。
城山踏切とある。車で通るのはちょっときつい。自転車で突き進む。ちなみに小山駅方面を除いた中久喜城方面。線路で真っ二つ。
なんと踏切の先に謎の「→順路」の立て札が。何があるのだろうか。順路の先はこんな感じ。え?進んでいいのかな?となりそうだが気にせず進む。
その先にも矢印がある。最終的には開かれたと畑に誘導される。何もないが、ちょっと畑に人がいたので写真は撮れなかった。おそらくここが城の中心だったのだろう。それを見学ルートとして作ろうとしていたのか、しているのか。
ちなみに堀らしきところもありじっくり見ると面白いかもしれないが、何せ整備されておらず草木に覆われてちょっとなあという感じ。この空間から犬塚方面の住宅街。そう、田んぼが広がるが、以前この田んぼ道の途中まで来て、うっそうと生い茂る木々に道が吸い込まれていて、ちょっとためらって前進をあきらめたところ。そうか、ここにつながっていたのか!とちょっとうれしい。
Googleの写真から見ると右上に踏み切り、そこから下に伸びて森の周りをたどって左下の田んぼのほうへ抜ける道。
中久喜城の発掘調査はかなり昔に行われた以降、最近は放置のような感じ。まあ、歴史上どうかというところだが、鎌倉殿の13人で、結城朝光が琵琶の先生として登場しているが、この結城朝光は小山政光の息子で結城を発展させた人らしい。それは後日。この城も小山氏、結城氏に関係する城跡。これを機に再度整備、調査して何か発見されないかしらと