小学校低学年 多摩市時代③

多摩ニュータウンでは、自転車に乗れるようになったり、兄と野球したりした記憶。住んでいたのは5階だったお思う。

多摩ニュータウンへ。このようなトンネルは諏訪幼稚園側にもあった。

先に見えるは様変わりしたニュータウン。広場はあったような。ただ石段とかがもっとあったような。児童館もあったかどうか。壁には50とあるから昔からあったかも。

昔の団地がまだあった。真ん中は団地の裏側の車道。ここを下ったところに病院があった。頭を怪我して血だらけになった私を母が背負って走ってくれた坂。怪我は、小学校に登校中だったか、幼稚園だったか、階段でこけて手すりのコンクリートに頭をぶつけた。その後歩いたが頭が熱いなあと思い手を当てたら血だらけ。焦って家に帰った記憶が。さぞ母はびっくりしたことだろう。右側はほぼ原形をとどめていないがこの辺りに芝生と公演があった。芝生では冬にかまくらを作った記憶もある。

諏訪二丁目のバス停。この坂道ももぼったことがあったような。この先の都民銀行前で降りるかどちらかだった。

二丁目バス停付近から仰ぎ見る団地。そしてその上には車道。ここは自転車でかっ飛ばしたものだ。兄はここで転んで頭を怪我した。小学校低学年の思い出の場所。意外と残っているところもあったがかなり住みやすい町に変貌を遂げていた。昔の団地はこの後も取り壊すのだろうか。これも仕方ないこと。