中学野球部

柏市立となっているが、当時は沼南町立風早中学校。沼南町はその後柏市へ併合された。

正門は昔のまんま。下駄箱の感じも。さすがに中に入れなかったが。校庭も変わらず。そうそう、校庭に降りる階段、ここに荷物を置いて、部活動したなあ。野球は右側の写真から見て左端がバックグランド。

中学の野球は、意外とチームワークは良かったが、私は何と守備の”穴”だった。ショートのレギュラーだったが、明らかに不得意だった。肩が強いわけでも、ボールさばきがうまいわけでもなかった。ヤンキー監督から、随分絞られたもんだ。試合中、「油断するな、まだショートに飛んでいないぞ」と。これは、その試合、まだ私のところにボールが来ていなくて、エラーが記録されていない=エラーから試合の流れが変わるから注意しろよ、というメッセージ。子供ながらきつい言われようだなあと思った。

沼南町だったから、4つしか中学(大津ヶ丘中学校、手賀中学校、高柳中学校、そしてわが母校風早中学校)がなく、春夏の大会はいつもベスト4から(ベストではないか)。私が三年の時は大会は全部優勝。でも強かったというわけではない。

ヤンキー監督、と言っても本当の監督は空手部の監督だが、指導や試合は、ヤンキー教師がほとんどやっていたように思う。メインの大会は空手部の監督だったが。

このヤンキー監督、「今日は、走りに行くから(ようは暴走族)、練習やっとけ~」とか、車は異常に背の低い車で、かなり小回りが利く車だったり、ノックの時も、ホームランを打ちたくなり、プールに打ち込み続けたり(全く練習にならんノック)、教師とは思えない人だった。ただ、人情があり、嫌いではなかった。

試合中怪我をしたときに病院に、その車で連れて行ってくれたっけ。一方通行を間違えて入ってしまい、やべっと、バックで逆走して連れて行ってくれた(交通ルールは守っているといえる?)

このヤンキー先生より、もっとやばい先生は沢山いた。私は、掃除さぼって体育館の裏に連れていかれ殴られたことが一度あっただけで、やばい先生には近づかなかったし、さぼりが見つかるようなへまをしなかった。とはいっても、真面目な生徒ではあった。