中学時代は、いまでは信じがたいスパルタ教育の学校だった。先生は暴力当たり前。まあ生徒も問題児が多かったように思う。何だか酒臭い先輩もいたし。でも、普通に通った。
1番左の写真は昔のまんま。真ん中の写真と右側の写真のアパート。これは中学時代は無かった。この領域はただの草っぱら。ここはかなり変わった。
帰り道。左側も当時は何もなかった。途中から裏道を抜けて家に行ける。真ん中の写真の左の道を行くと右側のような道にとなり、実家のほうへ。この辺りも家は増えたが道は多分あった。しかし、中学時代はこの道は一切使わなかった。いまではその理由はわからないが。
あの頃は何を考えて生きていたのかなあ。部活以外の記憶はあまりない。クラブ活動で、訳詩クラブというものに入り、洋楽を少しかじったり、放送クラブに入ったり。そうそう、クラシック良くかけたが受けなかったことはよく覚えている。モントゥー指揮のウィーンフィルの田園が学校にあって、昼休みかけたりした。
部活は、野球三昧。そして野球のあと駅伝部もあった。これがものすごく強い駅伝部だった。きつーい練習を課せられた。なにせ各部活終わった後に、選抜メンバーとして駅伝部の練習があったのだから。
駅伝部の強さは私の学年の一つ下がMAXだったのかな。中学新記録を作る人もいたし、その後、箱根駅伝に二人出ているし。こんな田舎中学からしたら凄いことかも。とはいっても人数は結構いた。人学年、200人以上はいたと思う。